41.輪廻転生
先週はお正月についてお話を申し上げましたが、いつまでもお正月気分に浸ってはいないでしょうね。時間はとまっていませんよ。
さて本日は、皆様が本当のところを知らずに使っている「輪廻転生」という思想についてのお話です。
それは、この世の生物が死滅したら何かに生まれ変わると単純な考え方から伝えられ、哲学的に因果の道理をわきまえて人間として生まれた事実は、過去の世界における行為の結果であると説いています。
更にこの世におけるすべての行為が、死んだからと言って無くなってしまうのではなく次の世に何かに生まれ変わり、それが永遠に輪のように廻り巡るという考え方が通常の輪廻思想なのです。
ですからこの考え方が、仏教そのものの思想であると考える方々の多いのも無理からぬことです。そして仏教イコール輪廻転生説になっているのでしょう。
ところが、これからお話申し上げたいことは、この思想が、実は、仏教が宗教として確立する前からの思想であった事を、皆様に知らされてこなかったのです。それはお釈迦様誕生以前にインドではバラモン教という教えが主流をなしていて、インド全体がこの思想のもとで社会規範が成り立っていました。そしてお釈迦様がお生まれになり、この輪廻思想を仏教的に解釈し、教えとして世の中に広めたのです。ではお釈迦様が説かれた輪廻転生とは、どういう教えなのでしょう。
それは、六道輪廻と言い、この世界からの脱出こそが仏教の根本思想になったのです。これを「解脱」と呼びその状態に到達するための実践や教えが、昨年お話した四諦八正道なのです。
まずお釈迦様は「十(とお)」の世界をお説きになりました。それは「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天上」の六つ、「声聞」「縁覚」「菩薩」「仏」の四つの世界です。
「地獄」は苦しみの果てない世界で、生前悪行を重ねてきた人が落ちていく世界です。
「餓鬼」は我慢ができず満足のできない世界で、いつも不平不満ばかり言っている人が落ちる世界。
「畜生」は愚痴の世界で、いつも、ああすればよかった、こうすればよかったと後悔ばかりしている人が落ちる世界。
「修羅」は争いの世界で、いつも腹を立てケンカばかりしている人が落ちる世界。世の中でよく言われる「修羅場をくぐってきた」などはまさに戦場を生き抜いてきた状態を言うのでしょう。
次に「人間」ですが、この世界は私達の世界です。
先に「天上」の世界についてお話し致します。この世界は、高慢で鼻持ちならず、地位向上ばかりに時間を費やし、名誉欲に固執する人が住む世界です。
そこで私達人間が、この五つの世界を、行ったり来たり、時には「この世は地獄だ」とか「この餓鬼」と怒られたり、要するに悪い世界と表現されたのです。このように説かれた世界から一歩踏み出す事が、仏道修行であるとお示しくださっています。皆様ご存じのお釈迦様がお生まれになり「七歩」歩まれたと言う伝説は六つの世界から一歩進み、仏道を歩みなさいと言うお諭しだったのです。
そこで、「声聞」ですが、これは、仏様のお話をよく聞き、師の声に耳を傾け、正しい生活をすることです。
「縁覚」は仏様の教えが自分のものとなり、人間関係を正しく保ち、人生を送っていくことで、「菩薩」は、仏道実践を生涯かけて自分以外のすべての人々に教え導いて行く歩みを続けることです。私達は、心優しく、常にほほえみ、話しかける言葉は「とげ」がなく、心温まる思いになり、その方がいるだけで、回りが明るくなって安心できる方のことを、まるで菩薩様のようだと言っています。これこそ、「仏」になる前の菩薩行といえるのです。
最後に「仏」ですがいわずとしれた「悟りの世界」です。この世界へ赴かれた方は、一切のものを全て救済する力を持ち、常に私達を守って下さる境界にいる方です。
以上「十」の世界をお話し致しましたが、私達は「声聞」「縁覚」「菩薩」の世界に身を投じ人生悔いなしと生きたいものです。これこそが輪廻転生からの脱出であり、人間の世界から仏の世界へ進むべきなのです。
いかがでしたか、お話を聞くまでは少し誤解していたかもしれませんが、転生は、何かに生まれ変わるのではなく、人間に生まれさせて戴いた我身が仏になる事のできる世界に住み力強く生き抜く事と知り、六つの世界へ行かぬよう努める教えなのです。